2018年5月12日土曜日

パヨク脳BPOは不思議な呼称をスルー 小泉今日子タレント

http://blog.livedoor.jp/worldwalker2/から引用
316名無しさん@恐縮です2018/04/29(日) 23:04:04.42ID:S65EQWw10
長谷川はジャニーズが今まで揉み消してきた悪事を暴露しろよ

322名無しさん@恐縮です2018/04/29(日) 23:14:57.57ID:rdfFlGAZ0
「メンバー」呼びといえば、2001年8月に稲垣吾郎(44)が公務執行妨害と道路交通法違反で現行犯逮捕されたときの報道である。当時、稲垣吾郎の逮捕は同じようにテレビ各局のニュース番組で報じられたが、<「SMAP」の稲垣吾郎メンバー><稲垣メンバー>と呼称されていた。

「メンバー」だけではない。2005年1月、小泉今日子(52)が、東京都目黒区の路上に止めていた新聞配達員のミニバイクに運転していた車を当て逃げした容疑で書類送検された際、一部テレビ報道は<小泉今日子タレント>という謎の呼び方をした。 

2007年、布袋寅泰(56)が町田康(56)を暴行し傷害容疑で書類送検された際には、 一部メディアが<布袋寅泰ギタリスト>と珍妙な呼び名で事件を報道した。

これらはあまりに不自然すぎたためか、一昨年12月にNONSTYLE井上裕介(38)がタクシーに当て逃げ(ひき逃げと過失運転致傷の疑い)し書類送検された事件の際は<「NONSTYLE」井上裕介さん>
と呼ばれることが多かった。

島田紳助(62)が、傷害事件を起こして書類送検された時は、報道各社の見解がわかれた。島田紳助は2004年に勝谷誠彦の女性マネージャーの態度に腹を立てて暴行、全治1週間の頸椎捻挫を負わせた暴行傷害容疑(傷害罪)で書類送検されたが、一部のメディアが<島田紳助所属タレント>
<島田紳助司会者>という不思議な呼び方をした。

一方で<島田紳助容疑者>と伝えたメディアも少なくはなかった。
ただ、前述のように“逮捕”されていても稲垣吾郎は<メンバー>だったのに対し、草なぎ剛(42)は<容疑者>だった。
2009年4月のある深夜、東京都港区の公園で泥酔して全裸になり一人大騒ぎしているところを通報され、 公然わいせつ容疑で現行犯逮捕された草なぎ剛。このときNHKニュースなどでは<草なぎ剛容疑者>と報道した。
仕事への影響は約一カ月の謹慎で済み、その後も変わらぬ活躍を続けている。

▲:もちろん、2005年の小泉今日子バイク当て逃げ事件については、ウィキにはヒトコトも触れられてはいない。忖度が働いているのか、ある種の団体が醜聞を削除しているのかのどちらかなのだろう。



NTTという組織


 今朝の読売新聞から。


Van Gogh's Ear :The True Story を読む

 Bernadette Murphy の本を読み終えた。驚嘆した。
 ゴッホがゴーギャンとの共同生活破綻の末、狂乱状態となり(英語ではbreakdownという言葉を使っているけれども、耳を削ぎ落とすような精神状態は狂乱という言葉が適していると思う)、削ぎ落とした左耳を、<娼婦レイチェル>に渡した、という事件。
 この事件が、実際は間違っていることを<ほぼ証明>したのが、この本である。
 こんな大仕事を、美術についての素人の女性が、やり遂げてしまっていることに驚嘆した。
 先ず、<レイチェル>は、娼婦ではない。耳を削ぎ落としたことにも宗教的解釈ができる。ゴッホを精神病院に収容して欲しいという「善意の・被害者の住民の嘆願書」などというものは、実は黄色い家の家主とその仲間たちの「陰謀」でしかなかった。大きなものとしてはその3つが挙げられるけれども、アルルやサンレミでのゴッホの行動を事細かに描写していて、興味は尽きない、驚きの連続である。
 正直、私はゴッホのデカダンな生活を軽蔑していた。「遊び人」のゴーギャンと一緒に「一発3フラン」(この表現はゴッホの手紙の中にある)の娼婦と寝て、挙句の果てに耳を切り落としてその娼婦の一人に渡すとは、なんていうクダラナイ男だろうか、と。
 こうした考えは、全く間違っていたことを教えてくれたのが、このマーフィーの本である。

 ゴッホの家系には精神を病んだ人が少なくない。マーフィーはゴッホの精神異常を性病(梅毒)とは結び付けては考えてはいない。そこは不明のままである。
 ゴッホの弟テオは、ゴッホの死後半年で、「脳梅毒」で死んでいる。19世紀後半のパリは「娼婦業界の全盛期」だった。普通に男たちは女を買い、それでいながら宗教的高潔さとか善良な紳士面をして街を歩いていた。その「偽善」を嘲笑ったのが、マネの「オランピア」だった。モネの妻カミーユは恐らく娼婦だっただろう。

https://restfultime.blogspot.jp/2015/06/blog-post_42.html

https://restfultime.blogspot.jp/2015/07/2.html



(P226~)
 A more likely explanation lay in Vincent's recorded obsession with  religion in the days leading up to 23 December. In Gauguin's account, as told to E'mile Bernard, Vincent was 'reading the Bible and giving sermons in all the wrong places and to the most vile people, my dear friend had come to believe himself a Christ, a God'. It may seem a strech, but I would suggest that in Van Gogh's heightened staet he gave the girl part of his own healthy body to replace her damaged flesh, and that the words he spoke that night recalled those of Christ at the Last Supper : "This is my body......do this in memory of me."
 Gabrielle was indeed at the House of Tolerance no.1 on the night of 23 December 1888, but she was not working as a prostitute. She was changing the sheets and washing the glasses. When Vincent appeared at the brothel that rainy night, I can only imagine the shock for the poor young woman -- a frenzied man comes to her place of work and hands her a sinister gift. It is no surprise she fainted. Van Gogh had a great capaxity for kindness, especially for anyone he considered less fortunate than himself, he would have been touched by the meek girl he saw working so hard, with such meagre reward. He would have been moved by her damaged arm. She was exactly the sort of woman he was attracted to -- a wounded angel he thought he could save.
(snip)
 Van Gogh's act of self-harm has always been the ultimate justification of his madness. Taking his ear to a prostitute has fuelled the legend of a wayward, bohemian painter who hung around with shady individuals and was irredeemably crazy. I can't pass judgement on him mutilating his ear. Of course it cannot be interpreted as the behaviour of a sane individual, indeed, his 'gift' was certainly perceived by the girl and the police as the act of a madman and reported as such by the press at the time. but giving his ear to 'Rachel' was part of a continuum of behabiour that had been gathering momentum throughout his adult life. Van Gogh rarely did things by half-measures. Set in the context of his past -- thrusting his hand over the flame in Holland, giving away all his clothes to the poor in Belgium -- his extreme behaviour in Arles liiks less like a single crasy episode than an act of desperation by someone profoundly unwell. He was impetuous, intense, yet at the same time oversensitive and deeply emphatic. Living mostly on his own, these traits remained unchecked. Clearly driven by his mental illness, nontheless the motivation behind  his actions was kindly intended and, within the parameters of his unbalanced mind, quite lucid.
(snip)
The discovery of the true identity of 'Rachel' surely alters how Van Gogh is perceived. Vincent didn't go to the /Maison de Tole'rance/ on a whim that night and he does not appear to have been motivated simply by lust. This girl was someone he knew, someone he appeared to sympathise with. I believe that giving her the gift --part of his own flesh -- was done out of genuine concern and tenderness for the young woman. The act was guided and influenced by his diminished mental state, of course, but no less noble for that.
 around 11.20 p.m. on 23 December 1888, Van Gogh set off from the Yellow House on an altruistic mission -- to bring succor to a young woman in need ; to help in his own particular deluded way, a wounded angel.






作成途中

北大医学部精神科教授・久住一郎にやって欲しいこと







 香山リカ@中塚尚子 について考えて、いつも思い浮かぶことは、BPOという組織の怪しさである。中塚尚子が「パヨク脳」であることは(昔はそんな言葉はなかったけれども)、随分前から知れ渡っている。辻元清美や福島瑞穂のように口だけは達者で、しかし言っていることの内容は子供レベルなのだが、パヨク勢力にとっては使い勝手のいいバカなのだろうと思っている。岩波書店がこの阿呆に新書を乱発させているのもそういった経緯なのだろうと。
 BPOの委員を6年も、この精神を病んでいるようにしか見えない女がやっていたことに驚く。日本の放送に倫理がなく、決して番組内容も向上しないのは、この腐った組織について考えてみることで納得できることだろう。
 路上で、公然と、中指を立てて狂気の顔つきで人を威嚇するこの<精神科医>。
 この女が所属する医局が、北大医学部精神科、である。この女の父親(産婦人科医)が、元北大精神科教授山下格と大学で同期で、そんな関係もあって、東京医大卒のこの女は北大精神科に入局してきたのだろう。そしてその時に医員として医局にいたのが、久住一郎である。だから、久住一郎はこの女をある程度は「指導」していたのかもしれない。
 山下格の<十八番>である「解離性障害」がどうだこうだと最初の頃、中塚尚子は話していた。恐らく、北大医学部から授与された学位論文か何かのテーマだったのではないだろうか。
 考えてみれば、この女を産み出してしまったのは、北大医学部精神科に「罪がある」と表現してみたとしても不穏当ではないだろう。
 で、路上で公然と狂気の顔つきで中指を立てる精神科医が、同門名簿に載っているはずである。
 立教大学の学生がこのおかしな女から何を学ぶかは彼らの問題であって、北大医学部精神科には関係のないことではあるけれども、いやしくも、同門のリストに出ている精神科医がここまで「心を病んでいる」姿を世間に晒されていることに、久住一郎教授は心を痛めないのだろうか?
 彼がやるべきことは、先ず、中塚尚子に連絡を取って、教授自らがカウンセリングをしてあげようと申し出ることではないだろうか?
 精神を病んでいるように見える精神科医を救ってやることが、まして同門であり一緒に働いたこともあり、恩師(山下格)の親友の娘であるならば、久住一郎教授に道義的に求められていることではないか、と、日曜の朝、クオリティで教授の顔写真を見たときに私がふと思ったことではある。




2018年5月11日金曜日

自民党バカ議員列伝 加藤寛治(長崎県)

「3人以上子供産み育てて」自民・加藤衆院議員
2018年05月10日 21時49分 読売新聞
 自民党の加藤寛治衆院議員(長崎2区、当選3回)は10日、自身が所属する細田派の定例会合で、「新郎新婦には必ず3人以上の子供を産み育てていただきたい」と述べた。
 「結婚しなければ、子供が生まれず、人様の子供の税金で老人ホームに行くことになる」とも発言した。発言に対し、他の出席者から、「これこそセクハラだ」などの批判が出た。加藤氏は記者団に「結婚式の時にお願いしたことを話しただけだ」などと釈明したが、その後、「誤解を与えたことに対し、おわびします」とのコメントを出し、発言を撤回した。

以下はウィキより

来歴
長崎県島原市出身。長崎県立島原高等学校、日本大学理工学部卒業。1982年に長崎県議会議員に初当選、以降8期務める。県議会議長、県連幹事長などを歴任した[2]。2012年の第46回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で長崎2区から出馬。長崎2区を地盤としていた元衆議院議員久間章生の元秘書である雲仙市長の奥村慎太郎が無所属で出馬して保守分裂選挙となった[3]が、奥村や民主党の川越孝洋らを破り初当選した。
失言
2018年5月10日に行われた細田派の定例会合で、結婚披露宴に出席した際には「必ず3人以上の子供を産み育てていただきたい」「結婚しなければ、子供が生まれず、人様の子供の税金で老人ホームに行くことになる」と呼び掛けていると述べ、出席者からセクハラではないかと非難された。会合の直後は発言を撤回しない考えを示したが、その後「誤解を与えたことに対し、おわびします」として発言を撤回した[9][10]。

▲:日本大学といえば、こんな醜悪な事件も起こしている。


反則3度のアメフト日大選手、関東学連が異例の処分

5/10(木) 17:44配信 朝日新聞デジタル
 アメリカンフットボールの関東学生連盟は10日、日大と関学の定期戦(6日、東京・アミノバイタルフィールド)で3度の反則行為をし、退場処分を受けた日大守備選手に対して、対外試合出場を禁止する処分を発表した。連盟による選手への処分は極めて異例。
 出場禁止期間は今月中にも理事会内に設置される規律委員会で調査を行い、追加処分が決まるまで、としている。日大の指導者(内田正人監督)に対しても指導者責任があるとして厳重注意した。
 関学大は日大に対し、反則行為の経緯説明と謝罪を求める文書を送った。処分を受けた日大はファンや連盟、関学大の選手らに向けて、公式ホームページ上に「多大な御迷惑と御心配をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます」と謝罪文を掲載した。
 6日の試合で日大の守備選手は関学大攻撃の1プレー目、関学大のクオーターバック(QB)がパスを投げ終えた数秒後に背後からタックル。QBはそのプレーで負傷退場した。日大の守備選手はその後のプレーでも不必要な乱暴行為を続け、5プレー目で退場処分となった。
 学連は9日の理事会で、反則行為のあったプレーを映像で検証。その結果、背後からのタックルが「不必要な乱暴行為を超えるプレー」と分かり、公式規則第6章の「(無防備なプレーヤーへの)ひどいパーソナルファウル」に当たると判断し、処分を下した。連盟は「アメリカンフットボールはもとより、あらゆるスポーツにおいて順守されるべきフェアプレー精神やスポーツマンシップ精神を著しく損なうもの」としている。
 日大の守備選手は6月の大学世界選手権(中国)の日本代表メンバーに選ばれていたが、辞退した。日大は昨季、全日本大学選手権決勝「甲子園ボウル」で関学大と対戦。23―17で勝利し、1990年以来、27年ぶり21回目の優勝を果たした。(榊原一生)(引用終わり)

 少なくとも、日本大学のアメフト部と、日本大学卒業の加藤寛治は、頭がおかしい。

 そういえば、前回、自民党バカ議員列伝に登場した国場幸之助(沖縄)も、日本大学の卒業である。





李克強の北海道訪問 偶然目にした事故

2018.5.11 14:32 産経新聞
北海道で安倍晋三首相、李克強首相をおもてなし 帰国見送る
 安倍晋三首相は11日、訪問先の北海道で、来日中の中国の李克強首相の自動車工場視察に同行し、昼には食事会を開いて李首相をもてなした。安倍首相は同日午後、特別機で帰国する李首相を新千歳空港(千歳市)で見送った。
 両首脳は11日午前、苫小牧市内のトヨタ自動車北海道の工場を訪問し、トヨタ自動車の豊田章男社長から、次世代電気自動車(EV)や燃料電池自動車について説明を受けた。李首相はEVの走行距離やコストなどに関して熱心に質問し、自動運転技術に関する同社と中国側の共同研究の成果に期待を示した。
 その後、安倍首相は、恵庭市内の農業テーマパーク「えこりん村」で昼食会を主催し、懇親を深めた。
 これらに先立ち両首脳は同日午前、札幌市内で開かれた日中知事省長フォーラムに出席。安倍首相は「大切なことは両国の戦略的互恵関係を目に見える形で実行に移すことだ」などと述べた。

▲:今日、昼食は街まで出て、蕎麦屋に入った。創成川を渡ったところにある蕎麦屋なので、地下鉄ススキノ駅から降りて少し歩いていると警察官が多数現れて、国道36号線を封鎖し始めた。李克強らが北海道に来ており、そのための規制があちこちで行われているのである。突然、本当に突然、持ち運び式の金属柵が立てられて進行方向に進めなくなった車は・直進できなくなった車は、右か左に流れてゆくしかなくなった。歩道でそれを見ていると、一台の車が仕方ないといった様子で、ゆっくりと、しかし封鎖された・本来は自分が進みたかった方を「よそ見しながら」右折したらしかった。<らしかった>というのは、そうとしか考えられないからであり、私はその運転手を見ていたわけではない。
 ところが、そこには横断歩道があった。そこをちょうど自転車の女性が、自転車に乗ったまま走っていたようだった。私が見たのは、ぶつかった直後、自転車が倒れた直後のこと。
 どの車も、とてもゆっくりと歩くような速度で右折していたし、ぶつけられた自転車の女性も飛ばされるようなことはなく、その場で自転車が倒れて横断歩道の上に崩れるように落ち、すぐに上半身は起き上がっていたけれども、事故は事故である。
 恐らく大きなケガはしていないだろう。それでも、事故は事故である。
 周囲にいた警察官が数人すぐに駆け付けて、被害者救護と現場での規制を始めた。
 私はほんの30秒くらいそれを見ていただけで、そのまま蕎麦屋に入る路地を曲がった。

 さて、ヒトゴト、ではない。
 どこかの国の<要人>がやってきて、目の前の道路に突然規制がかかり、そちらに気を取られて不注意になって、うっかり事故を起こしてしまう、ことが自分にも起きないとは限らない。
 恐らく、あの車を運転していた男性は今夜は眠ることはできないだろう。
 自動車を運転しているということは、いつも危険と隣り合わせである。自分がけがをする分には、はっきりいってどうでもいいと思うけれども、人を・他人を傷つけることはとんでもないことである。老人になってきた私は、車の運転には十分に注意しなければならないという自戒の念を強くした。
 少なくとも夜は、私は車を運転しないようにしている。ただ、日中、何かに気を取られてああした事故を起こさないとも限らない。そう思うと、そのうちいつかは、思い切って、免許を返納しなければならないのだろうな、と考えてしまう。

病院関連 医局費を払う

 今日は医局の秘書さんのところに行き、医局費を払う。年間18000円。
 6月の年休予定を提出する。もう僅かしか残っていないので、殆ど海外旅行は不可能となる。しかし、10月にまた年休がもらえる。
 8月の学会出席の希望を伝える。これが最後の学会参加ということになるだろう。